大渕



秋
夏の暑さも彼岸まで
ここ富士本、朝、晩と肌寒く感じる今日この頃
庭先の雑木、早いものは色づき始めました。
(9月29日)
ヒノキ街道
アジサイ通り
ヒノキ街道アジサイ通り
H16.6.22
街道沿いのアジサイの、ほんの一部です

霧
普段の風景

 上18日、下今日の様子です。霧も珍しくはありませんがこんな感じです。これくらいの霧だとそんなに感じませんが、もっと深くなってくると息苦しくなってくるのは自分だけでしょうか?木こりの日誌に、この時の様子を書いてみました。(5月19日)
お茶刈り 乗用型摘採機
お茶刈り
お茶刈り2
お茶刈りの機械化
 富士本でもお茶刈りが始まりました。刈り取った葉は後ろの箱に送られ、満タンになるとトラックの所に行き、箱をリフトアップしトラックの荷台に。このHP、初登場の人物は、近くのお茶工場の方です。(おじゃまして、写真撮らせて頂きました。)初めて近くで見ましたが、早い早い!あっという間に刈っていきます。(5月15日)
茶畑
茶畑
新芽の緑
 5月11日お茶の新芽が伸びてきました。この新芽の緑、いいですねー。
ミツバツツジ
ミツバツツジ
ミツバツツジ2
ミツバツツジ
 4月中旬桜も散ってしまいましたが、大渕の花木にもなっているミツバツツジが、綺麗なピンクの花を咲かせています。
紫陽花
あじさい
ヒノキ街道あじさい通り
 街道沿いの紫陽花が見頃になりました。又この梅雨の時期、霧がよくでます。外灯のない、この山道ライトをつけての走行は、道路の白線、道の両側に咲く、紫陽花 の花が道幅を示してくれます。
 霧がでている時の走行は、気をつけて走りましょう。
   
ヒノキ街道
あじさい通り
ヒノキ街道あじさい通り


あなたのものです
平成13年3月
ヒノキ街道 あじさい通り 
 平成12年富士ひのきPR看板の起点に、ひのき支柱、7寸角設置
 富士市大渕 富士木材センター下 市道沿い
 
 伐採時期を迎えた富士ひのきがこの道を通って旅たち、この道に以前からあじさいが植えられていて 「ヒノキ街道 あじさい通り」とした
富士地区林業研究会設置

この道沿いの奥さんは、ゴミが落ちていれば拾ってくれ、風が吹き葉っぱが落ちれば掃いてくれます。以前、この街道から会社まで約2キロの間を家族と歩き、ゴミ袋3袋拾い集めました。始めはちょっと恥ずかしいと言う気持ちでしたが、終わってきれいになった街道を見るとすがすがしい気持ちになります。窓を開けポイと捨てるのは簡単。

この道も、このあじさいも、この地球もあなたのものです
富士ひのきPR
富士ひのきPR
平成12年
富士市大渕 富士木材センター下 市道沿い
 
 富士地区林業研究会メンバーが、林業の活性化に願いを込め看板50基設置   
かしゃぎ
鹿死木の棚
鹿死木の棚入口

鹿死木の棚
ヒノキ街道あじさい通り沿い
 富士木材センター西側沢

鹿死木の棚の由来
 今から八百年位前、源頼朝が富士の巻狩りを行った。 (曽我兄弟の仇討ちもこのとき行われました。) 鎌倉からの頼朝は、沼津の岡野牧(大岡)から始まり蘇弥奈牧(曽比奈牧場)を経て、西富士の朝霧方面に向かった。この時、蘇弥奈牧のここ不動沢に大鹿が出た。家来の者達が、この鹿を追い詰めたところ沢の大きな棚 (高さ十五米位)の二段棚の大木に引掛かり死んでいた。以来 この棚(渕)を鹿死木の棚と言われ現在もその名を留めている。
逆さ杉
昔、この辺りに、真面目な百姓夫婦が住んでいました。しかし、二人には子供がなかったので、毎日が寂しく暮らしていました。ある晩夫が、「氏神様にお祈りしてみようではないか。」と妻に言いました。そして二人は、毎晩氏神様にお参りして、「どうか子供を授けて下さい。」と祈りました。するとまもなく体の大きい元気な男の子を授けてくれました。男の子はぐんぐん大きくなって、力も大変強くなりやがて、小生川(おぶがわ)と言う立派な角力とりとなって、夫婦の暮らしも楽になりました。村人達は、この夫婦をねたんだり、うらやんだりしました。ところが突然、小生川は病気にかかって、年をとった夫婦の看病のかいもなく、ついに亡くなってしまいました。老夫婦は、悲しみと貧しさのため、毎日泣いて暮らしていました。村の人達は、同情もしなければ、慰めてもやりませんでした。ある日、老人は飢えと疲れで道ばたに倒れてしまい、とうとう死んでしまいました。それから何年かすぎたある年、村中に悪い病気がはやって、大勢の人が死に、続いて、いろいろな災難が起こりました。村人は、氏神様にお祈りしました。すると本殿の奥の方から、「真面目な夫婦の願いをかなえて、立派な力士を授けたのに、おまえ達はそれをねたんだり、うらやんだりして、老人を助けてやらないで、見殺しにしたではないか。そのたたりだ。」と言う声が聞こえてきました。村人達は、小生川力士と老人の供養を盛大にやりました。すると不思議にも、はやり病気はぴたりとやんで、作物も採れるようになりました。
供養の式をやった時、枝の付いた杉に木で作ったとうばを、塚の前に逆さにおいたのが、いつか芽がでて、枝をはって、ぐんぐん大きくなり、今では見上げるほどの大杉になりました。
人々はその木を「大渕の逆さ杉」と言っています。
七色石 七色石 私が七色石の事を知ったのは、大阪から来た人が、「この辺に七色石があると思うのですが?」と訪ねられ七色石の事を知りました。調べてみると、七色ではなく七尋(両手を広げた幅が、ななつ分)もある大きな石の事でした。左写真実際地名で七色石として残っています。
雨ふり山 ある秋の日のこと一人の若者が薪を取りにこのあたりの林に入りました。仕事を始めるとまもなく、今まで晴れていた空が急に黒雲におおわれて、雨が降ってきました。若者は仕方なく帰り支度を始めると、雨はぴたりとやんで青空が見えてきました。こで再び仕事に取り掛かりました。すると又、大粒の雨が前よりいっそうひどく降りだしました。若者は、「変な天気だなぁ」と言いながら道具を片付けると、又日がさしてきました。気味が悪くなりましたが、せっかく来たのだからと、仕事にかかりました。すると、今度は雷と大雨が一緒にやってきました。若者は、顔色を変えて村へ逃げ帰りました。この話を聞いた村の人たちは、「そんな馬鹿なことが・・・今まで聞いたこともない。」と言って笑いました。しかし、その後も村人達がこの山に来るたびに大雨に降られて逃げ帰ったので、何時か、ここを「雨ふり山」と呼ぶようになりました。
 1993年11月、間伐
でこの辺りの山に仕事に入りましたが、雨には降られませんでした。が、実際天候は変わりやすい場所のように思います。
 ※間伐 木々が生長するに、太陽の光が十分得られないと成長が衰えてきます。 そのため、木を間引きをし太陽の光が十分差し込むようにします。  木が生長し、健全な森林を作るために欠かせない作業です。

トップに戻る